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『未確認で進行形』は「難民キャンプ」になり得るのか?

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このOP、今期で一番好きです。


それはさておき、日常系アニメ難民問題について
(問題になってるかどうか定かではないですが)、
そして少し日常系アニメというものがどういうものかについて語っていきたいと思います。


まず、「難民」とは何のことか説明します。


「日常系アニメには中毒性がある」
まず、ここから解説せねばなるまい。

最終話に向かって話が進行してゆくアニメの場合、ある意味で「終わらねば」話は成立しない。「終わりよければすべてよし」というわけでもないが、話の終着点である最終話は重要になってくる。視聴者はそうやって物語の終わりを見た後、「綺麗に終わったから二期は無いんじゃないか」「いや、それでも続きが見たい!」などと色々な感想を膨らませるのである。
しかし。
日常系アニメの場合は――?

日常系アニメは、我々の日常に侵食し、ついには我々の日常とシンクロする。その最終回(1クールの場合12話目あたり) で多くの視聴者、……否、中毒者は耐え難い喪失感に苛まれるのだ。何故なら――

日常に明確な終わりなどあってはならないからだ。

もちろん、「卒業と同時に最終回」のような形を取る物語もあるが、アニメの場合、巻数の都合や1クールの都合などもあり、綺麗には終わらないことが非常に多い。だが、必ず終わりは、来る。するとどうなるのか。そう……

難民が、発生する。

――――――――――ニコニコ大百科の概要より抜粋
http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%9B%A3%E6%B0%91



難民を要訳して言い表すのなら「日常系アニメの魅力に取り憑かれて来期アニメにも日常系アニメを求める人々」のことです。

そしてそれは僕のことでもあります。
『ゆゆ式』にとりつかれてから僕は、「来期にもこんな日常系アニメ来てほしい!」と渇望するようになります。

すると、「難民キャンプ」なる造語が生まれたのです。
ここからは「難民キャンプ」についての説明です。




難民キャンプの登場

2013年、冬。日常系アニメの雄、きらら系列のアニメが途絶える。しかし。救いは、あった。


『のんのんびより』 である。


きらら系列ではないが、強烈な日常アニメとしての存在感と独自の空気感は救いを求めていた難民たちに希望の光を与えた。そして自然に……ある表現が用いられることとなった。それが「難民キャンプ」である。

他にも彷徨いし者共を受け入れてくれるアニメがこのように「難民キャンプ」「仮避難所」などと呼ばれることが多い。だが、決してそのようなアニメが「到達地点」とならないのは、そのアニメもまた終わってしまうことに、みな気付いているからである。結果、難民キャンプそのものが「失われし母国」になってしまうことも非常に多く、そのアニメが終わったらまた彷徨うことになる場合も非常に多い……だが。

それが宿命なのだから、我々は事実を受け入れつつ、新たなる難民キャンプを求め、また旅立つのだ――

そう、この世にアニメがある限り。

なお、この評価(「難民キャンプ」や「難民の受け入れ先」など)は、基本的に好意的な意味で使われていると思っていいだろう。何故なら「愛するアニメを喪った悲しみ」を「十分に癒してくれる存在」として扱われているに等しいからだ。そしてまた、そのアニメも純粋な意味で、他と比べられず愛されるアニメと変わってゆく――こうしてアニメとその愛は、延々と連なっていくのである。

――――――――――ニコニコ大百科の難民キャンプの登場より抜粋
http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%9B%A3%E6%B0%91



要するに、難民キャンプとは
「日常系アニメにとりつかれた彷徨える難民たちの受け入れ先」
ということですね。

で、『ゆゆ式』にとりつかれた僕は『きんいろモザイク』、『のんのんびより』と難民キャンプを
転々としていったわけです。

さて、飽きアニメが終わり、僕は次の難民キャンプはどこだろうと探し求めていました。
そして、とうとう発見したように思えたのです。

それがこの、『未確認で進行形』
未確認で進行形

これだ……ここが俺の求めていた理想郷だ! 難民キャンプだ! そう思っていました。


し か し 。


僕の想像していた理想郷はすぐさまある存在によって壊れてしまったのです。
それがこの、三峰白夜くんの存在です。
未確認で進行形


お、男がおる……!?
日常系アニメに、男がおる!?

い、いえ。日常系アニメ(古くいうのであれば空気系でしょうか)
での男の存在は珍しくありません。
『きんいろモザイク』にはモブで男もでていましたし、
『のんのんびより』では「兄」という男がいました。

だがしかしです。

『きんいろモザイク』の男モブは、きんモザの主要メンバーである女の子たちと溶け込むことはありません。『のんのんびより』の「兄」も、女の子たちから若干疎外されコミュニケーションをとれない「視聴者」としての役割を担っていました(この兄について詳しくはコチラに書きました→(http://tunachaofan.blog.fc2.com/blog-entry-6.html)。

『ゆゆ式』に至っては男という存在がまったくもって登場しませんでした。唯一、あの三人が第一話でお団子を食べるときにモブとして登場するぐらいでした。

こうしてみると、どうして日常系アニメはここまで男という存在を嫌うのでしょうか?

理由は簡単です。それは恋愛が日常を破壊するからです。

日常系アニメとは「人間同士の関わりあいなどによって発生する人間的成長をゆっくりと描き、未来に待っている物語の終焉(例をあげるなら卒業式や、男女が付き合うということ)を予期させることを極力さけて、女の子の可愛さをめいいっぱい楽しむ」アニメなのです。(これも詳しくはコチラに書きました→http://tunachaofan.blog.fc2.com/blog-entry-55.html

ですから、ニコニコ大百科から引用したように日常に明確な終わりなどあってはならないと思ってしまうのであり、だからこそ日常系アニメは急速に人間を成長させてしまいかねない恋愛という要素、恋愛という物語の終わりを予期させることを避けるために、「男」を極力排除しようとするのでしょう。

いわば、日常系アニメの定石というか王道として、
「「男」はほとんどいないものとして扱う」というのがある
と思います。


ですが、『未確認で進行形』の場合はどうでしょうか。
三峰白夜くんは許嫁としてヒロインである夜ノ森小紅ちゃんの前に登場します。
つまりは恋愛対象としての「男」がでてくるのです。

そして僕はこう想像しました。



アカン……こいつは『恋愛ラボ』の匂いがする!
日常系アニメだと思っているととんでもないことになる!

いや、『恋愛ラボ』はもちろん好きですよ。ですが、『未確認で進行形』というアニメを日常系アニメだと思って視聴していると、予想に反することが起きてしまうのではないか、と危惧してしまうのです。

このまま白夜くんと小紅ちゃんの距離感が縮まらない(または、視聴者にも気付かれない程度に2人の距離が縮まっていく)ならば、そして白夜くんがこのアニメに出てくる他の女の子と(積極的に)絡もうとしなければ、女の子が白夜くんと結ばれようとしなければ、日常系アニメとして、つまりは難民キャンプに成り得るでしょう。

ですが、白夜くんと小紅ちゃんの関係が視聴者にもわかる形で発展していくのであれば、
それはもう日常系アニメではなく恋愛アニメとなるでしょう。


そうなってしまえば、難民キャンプとしてこのアニメを視聴し続ける難民には
手痛いダメージとなります。

ですので、難民の皆さんは『これは本当に難民キャンプなんだろうか?』と
疑いながら、このアニメを視聴し続けるのがベストだと思います。


急いで付け加えておきますが、これは『未確認で進行形』を否定しているわけではありません。ただ、『未確認で進行形』というアニメはもしかしたら日常系アニメじゃないのではないか、といいたいだけなのです。

それに真白ちゃんメガッサかわいいですし。
まぁ、とにかく僕は難民キャンプであろうとなかろうとこのアニメを視聴していく予定です。


他に難民キャンプらしきものがあるとすれば『桜trick』なんですが、あれはアレで果たして日常系アニメといえるか疑わしいところです(ちなみに『桜trick』も大好きです)。これについても後々何かを書いていく予定ではあります。



さて、いいたいことは全て書き終わりました。
そろそろ僕は筆を置かせていただきます。


それでは、またどこかで。


byすなぎも
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