この物語は、主人公・室戸(むろと)がループを脱出するために、
アニメやマンガの知識を駆使して脱出しようと試みる物語。
暇つぶしに読んでいただけたらこれ幸い。
プロローグ:
はじまりは夕暮れと共に・ちーさんの視点第二十五話:
走馬灯第二十七話:
吐いたゲロを飲む
第二十六話:クソッタレ
なんとも最悪な走馬灯だ。息絶える間際にみる景色がこんなにも胸クソ悪いものだとは。
嗤える。
口元を微かに歪める。チャシャ猫のように寸分の狂った微笑み。
いや、むしろ最高の走馬灯なんじゃないか? この俺のクソッタレな人生を飾るには、これが最低で最高のフィナーレなんだろう。世界がドドメ色に歪んで見える。
ああ、死ぬんだ。いやだな。死にたくないな。
意識は深い深い闇の中で眠りにつこうとしていた。もうどうしようもない。もう眠ってしまおうか。俺は寝るのが好きだ。寝ているときは、嫌な現実と向き合わなくていいのだから。それにこの眠りは、ずっと悪夢にうなされることのない幸せな眠りなんだ。そうだ。もう眠ってしまおう。
何もかもを諦めかけたそのとき。
「室戸さん! 叫び声が聞こえて――――――――――」
ちー、さん?
深い闇に呑まれかけていた意識が急速に浮上する。
「だめだ……きちゃ…………」
来てはいけない。逃げるんだ。ちーさん。
「誰……?」
「む、室戸さん……?」
顔面蒼白になるちーさんの表情を、俺は見ていられなかった。
「ちーさん……」
「……ああ……そっか。お前がこの子をたぶらかしてた張本人なんだ」
冷たい鉄の感触が脇腹から引いてゆく。
「にげ……ろ……」
涙がボロボロこぼれ落ちる。いやだ。今まで生きてきた中で、ちーさんほど優しくしてくれた人はいなかった。あんな与太話を真剣に聞いてくれる人はちーさんだけだ。そんな子が死んでしまうなんて、想像もしたくない。
生き抜いてほしい。ちーさんには、生きていてほしいんだ。
「ちーさん……にげ「うわあああああああああああああああああああ!!!!!」」
ちーさんが、鼓膜を引き裂いてしまうのではないかというほどの大声で叫ぶ。振り乱れる髪の毛。その隙間から、憤怒に歪んだ眉と、狂気にとりつかれたような瞳がこちらを覗く。
それと同時に、まや姉がちーさんへと駆ける。その手に鮮血に濡れる刃物を握りしめながら。
視界に入る二人の、その圧倒的な体格差。まや姉は平均的な女子高生の身長だが、ちーさんは小学生かと見紛うばかりの体なのだ。敵うわけがない。まや姉の力でねじ伏せられてしまうのが手に取るようにわかる。
激情にかられてはいけない。ちーさん、俺のことはどうでもいい。逃げろ。死んじゃダメだ!
まや姉とちーさんの距離が瞬く間もなく縮まる。まや姉の長い腕が、ちーさんの体を切り刻むのに充分な間合いに入る。
伸びるまや姉の腕。その先に、夕日を浴びて紅にぎらつく銀の包丁。
そして凍てつく銀色が、ちーさんの小さな体を貫いた――――――――――
かに見えた。
現実は違かった。その隙間、わずか数ミリといったところでちーさんは一閃を避けていた。
そしてちーさんは地面を踏みしめると、まや姉の腹部に体重の乗った拳を振り上げる。
「ッか……!?」
内蔵を抉る速さの鉄拳。まや姉の表情は、「何が起こったのか理解できない」と物語っているようだった。かくいう俺も、これが現実なのかと目を疑った。
怯んだまや姉に畳み掛けるように、ちーさんはまや姉の包丁を握る手に切れのある手刀を繰り出す。掌からこぼれ落ちる銀の包丁。ちーさんはそれを遠くに蹴り飛ばすと、振り上げた足のかかとで、勢いよくまや姉の足の甲を踏みつける。骨が歪にゆがむ音。ちーさんはまや姉の折れた足の甲を踏みつけながら、あまりの痛さに仰け反るまや姉の下腹部に目では捉えられない速さの拳を数発叩き込んだ。今度は前のめりになるまや姉の顔面にちーさんは肘を打ち込む。まや姉の湾曲した鼻から血が飛び散った。ゆっくりと地面に倒れ込むまや姉に追い打ちと言わんばかりに、ちーさんは一歩下がって、電光石火のごとき回し蹴りをまや姉の脇腹に入れる。まや姉は空中を舞いながら吐血していた。
ふっとばされたまや姉は、かすかに泡を吹いていた。ちーさんは相手が気絶したのを確認し、凶器の刃物が手に届かないような距離にあるのを視認すると、ローブを脱ぎながら、俺の元へと駆け寄る。ちーさんはスカートのポケットから携帯を取り出す。そして右手で携帯の画面をスライドさせてボタンを押しながら、もう一方の手でローブを折り重ねて、まや姉に刺されてできた傷口を圧迫する。
「ぐぅああぁあぁ……!」
俺は激しい痛みに、声を漏らさずにはいられなかった。
「救急をお願いします! 小岩井高校屋上で、男子生徒が女の人に包丁で刺されて倒れていました! ケガ人は約一名、歳は16か17! 脇腹を刃物による深い刺傷、大量出血によるショックはまだありませんが、今にも意識が飛びそうです! 小岩井高校の屋上です! 既往症!? わかりません! はやく来てください! それと警察もお願いします! 包丁で人を刺すような女の人が近くにいます! その人は私が気絶させました! 四の五のいわずに来てください! 死にそうなんです!」
ちーさん大粒の涙を垂れ流しながら、怒号を飛ばす。電話の向こうの通信手にひと通りの事象を伝えると、投げ捨てるように携帯を地面に置いて、その小さな両手で俺の傷口を押さえつける。
「ちーさん……逃げろ! ここは……危険だ……!」
フラグだ。まや姉はまだ死んでいない。気絶しているだけだ。こういうとき、アニメや漫画のお約束がある。『仕留め切れていない敵の近くにいる』、これすなわち『死』を意味している。このままだと、ちーさんはまや姉に殺されてしまうかもしれない。この「現実」ではありえないことでも起こり得てしまうんだ。
「バッカじゃないですか!?」
それでもちーさんは離れようとしない。
「俺なんか、どうでもいい……! 頼む、逃げてくれ……!」
「生きることを諦めないでください!!」
「……ッ!!!」
「死なないでください、絶対に! まだ、まだ何もしてないんですよ……! さっき買ってきたガムだって、誰が食べるんですか!?」
「ちーさんに、あげるよ……」
「いらないです! 室戸さんが噛んでください!」
「死にそうな人間の、頼みが聞けないのか……いいから、ここを離れろ……!」
「ダメです! 離れません!」
「ちーさん!」
「だって……だって! はじめてだったんです! あんなくだらない占いと、真剣に付き合ってくれるなんて! あんなに楽しそうに、映画の話を聞いてくれる人がいるなんて! お願いです……生きてください!」
「……! ちーさん、それは嘘なんだ……! 真剣そうに付き合ってみせただけだ、楽しそうに聞いてたふりだ……! だから、どこかへ消えてくれ……!」
違う! そんなことはない!
ちーさんの占いのような奇妙な儀式も、おとなしいちーさんがものすごい饒舌になる映画の話も、楽しかった。俺は……俺は毎日、同級生たちからは頭が悪いと見下され、クラスの平均成績が他のクラスより劣るのはお前のせいだと罵られ、事実その通りで、どうにかしようと努力して、塾に通ってみたものの塾の講師に呆れられるほどの馬鹿で、それでも必死に耐え忍んで、だけど結果が得られなくって、学校でまた見下されて……。
そんな代わり映えのしない毎日が永遠に続くと想像すると、死にたいと願うようになっていた。心の底から死んでしまいたいと思っていた。
けれど、ちーさんと映画をいっしょに見るんだったら、少し生きてみたいと思えたんだ。
俺はいつも誰かに話しかけなければ振り向いてもらえなかった。そんな馬鹿に話しかけてくれるのはちーさんだけだった。部室が隣だっただけだからなのか、理由はわからなかった。それでも俺は嬉しかった。ちーさんとの距離が妙に煩わしいと思いながらも、それでも楽しかったんだ。
だからお願いだ。どうか。どうか……!
「そうだ、嘘だったんだよ! ぜんぶだ! 嘘っぱちなんだよ!」
「なら嘘でもいいです!」
それでもちーさんは、離れようとはしない。
「どうして……!」
「腹が立つからです!!」
「えぇ……!?」
「よくも嘘をついてくれましたね……! この恨み、はらさでおくべきか、ですよ……!」
「じゃあ今すぐ、階段を駆け下りてくれ……! 放っておけば、そのうち俺は血が足りなくなって死ぬ……! そうすれば、ちーさんの恨みもはらされるってもんだろう……!」
「何いってんですか! 死んだらそれでお終いじゃないですか! させません、逃がしません! 死ぬ方が楽なんですよ! 生きてる方よっぽど辛いんですよ!」
「ちーさん……!」
「付き合ってもらいますからね、この生き地獄! 室戸さんが元気になったら、くだらない占いに何時間も付き合ってもらいます! つまらない映画の話を耳にタコができるまでしてあげます! 喜んでください!」
「誰が、喜ぶか……! 死んだほうが、マシだ……!」
「あーあー、残念ですね、簡単に死ねなくて! ねぇねぇ室戸さん、今どんな気持ちですか!?」
「ああ……クソッタレだよ!!」
俺もちーさんも、涙を流しているのに、不思議と笑みがこぼれてしまう。俺は引きつった嗤いではなく、自然に笑うことができた。
死にそうだっていうのに、俺は何を話しているのだろうか? くだらない、あまりにもくだらない与太話。だけど、それが楽しくてしょうがない。
「忘れてませんよね、室戸さん! 『パシフィック・リム』と『ピラニア3D』のチケット、奢ってもらうって話ですよ! ガム、苦労して買いに行ったんですからね! か弱い乙女をパシリにするとか、室戸さんも鬼畜ですね!」
「何が、か弱い乙女だ……!」
口の端から、鼻の穴から、液体が垂れるのが感じられる。たぶん、血だ。咳き込む。血しぶきが舞う。ちーさんの手が、傷口をさらに圧迫する。それでも、俺は笑みを絶やさない。
「映画、2200円ですよ……!」
「本当かい……? なら、まずいな……実は、アニメのBDを買いすぎてしまってね……お金が、ないんだ……」
「もしお金がないって駄々をこねるようなら、アニ研部の部室にあるBD全部売っぱらってやりますからね……!」
「ぜんぜん、あるわー……2200円、ぐらい余裕だわー……」
「死んでも、同じですから……!」
「ははっ……じゃあ、おじさん、ちょっと、出血大サービス、しちゃおう、かな……」
「……洒落になって、ない、ですよ……」
「どう、したんだい……? なんで、そんなに、泣いているんだい……」
「……なんでも、ないです」
「……そんなに、泣いたら……笑顔が、クシャクシャになって……台無しだ、よ……?」
「…………………………室戸さん」
ちーさんが俺と目を合わせる。
「ぜったいに、生きてください」
「……もち、ろん」
俺は笑みを絶やさない。
「絶対に、死ぬもんか」
「影」は唐突にして姿を表す。
「ちー……!」
ふり返る間もなかった。
ちーさんの横っ面を鈍器が直撃する。空中に舞う数本の永久歯。それでもちーさんは踵を返したが、それよりもはやく。ちーさんの脳天に鉄の塊がぶち当たる。
「あああ……ああああああ…………!!」
ちーさんの小さな顔が、夕日よりも真っ赤な液体に染まってゆく。それを俺はただ、為す術もなく見つめているだけだった。
操り人形の糸が全て切れてしまったかのように、ちーさんはコンクリートで出来た地面に崩れ落ちる。
まや姉はそれでも鉄槌を振るうのを止めなかった。頭骨が割れる音。どんどん陥没するちーさんの額。ある程度までへっこむと、途端に額がぱっくりと割れた。溢れ出る血潮。骨がさらに細かく砕ける律呂とともに、直下した鉄塊が柔らかい肉塊に包み込まれる音色。耳にこびりつく不快感。飛散する脳漿、飛び散る脳髄。眼球が今にもこぼれ落ちそうだった。それでもまや姉は鉄槌を下す。ちーさんの鼻が逆方向に出っ張る。歯の折れる音。肉と鉄が擦れる。骨と肉が綯い交ぜにされる。玄能がぶつかる度に、ちーさんの体は脊髄反射をくり返すように打ち震えた。こぼれ落ちたちーさんの眼球と視線が交差する。それも一瞬のことで、鉄の重みに耐えかねたそれは湿っぽい音と手を繋ぎ、はじけて混ざる。
「どうして……どうして、こんな……!」
ちーさんは、見るも無残な『残骸』へと成り果てた。
まや姉は淀んだ瞳で夕日を眺める。それに飽きると、歩き始め、遠くにあった包丁を拾って首元に当てる。そして包丁を勢いよく引いた。噴水のように飛び出す紅血。数秒後、まや姉は地面にへたり込んだかと思うと、ピクリとも動かなくなった。
ちーさん……。まや姉……。
どうして? あの優しいちーさんが、死んでしまわなければならないんだ?
どうして? 画面の中ではあんなにも優しかったはずのまや姉が、殺人鬼に変貌を遂げてしまったんだ?
手を伸ばす。空を切る腕。どうしたってもう届かない。虚しさばかりが込み上げる。涙はとっくのとうに枯れ果てていた。
遠くでサイレンが鳴っている。でももう遅い。後の祭りだ。すべて終わってしまった。
急に、眠気を感じる。もういい。この睡魔に誘われよう。もしもあっちの世界でちーさんに会えるのなら、映画館に連れて行けなくてすまなかったと謝ろう。
血液が酸素に触れてドドメ色に染まる中、無明の闇へ堕落する「快感」を味わう。その味は、なんだか『ゴキブリ』みたいな味だった。
第二十七話:
吐いたゲロを飲む
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